1月12日
仕事が出来ないから落ち込んでいる。終わってないことが机の書類入れに山積み。あれもこれもそれも、ああ。私は能力が低いのだろう。それに人と上手く付き合える訳でもなく、可愛がられるような人ではなくて。つまり、必要なものでないのだね。ああ、心臓が痛い。
相変わらず、なくなりたい。全部なくしてしまいたい。
私が死んだら悲しむ人はいるかもしれない、くらいの死ねない理由で、だましだまし歩く今日も。生きるのに理由はいらないが、希望がなければ無駄に時間を浪費するのと同じだよね。
12月16日
足りない。足りない足りない足りない。おそらく満足感や達成感というものが足りない。不足している感覚が尽きない。
忘れられるのは、非現実な時間だけ。虚構か睡眠。眠れないのは辛いこと。
12月15日
あまりに寒いからか、記憶の回路が変な所に繋がった。ずいぶん懐かしい人を思い出した。中学の同級生で、いわゆる中二病的な人だったように思う。あの人に今会ったらどんな話が出来るかな。最後に行ったカラオケで歌った歌は今も歌うのかとか、同級生のあの人は結婚したよねとか、その人はこないだ事故ったらしいよねとか。そういえば一番最初に同人誌読ませてきたのこいつじゃないか。あーあーあー。
思えばずいぶん遠くまで来た。同級生は結婚したり子供がいたり会社勤めたり引っ越しをしたりまた実家でニートな人もいるらしい。亡くなった人もいるのかな。いずれにせよ、それぞれの生活があって、家庭や仕事や友人がある為に、私達はもう会えない。かつてのように、皆が集まる教室は再現ができない。再現が不可能なことがつまり懐かしいってことか。
皆に会いたくないのは私が幸せではないからですか。
9月22日
死ねたらいいと思っている。全部投げ出して辞められたらいい。私である私が嫌いでなくなればいいと思っている。
私は与えられた仕事は基本的にやり続けるが、どこか無責任であったかもしれない。能力が足りなかったかもしれない。重要なことは任せられないと私の上司が判断したようだ。宣言された訳ではないが、仕事を他の人員に振り当てていることに気づいている。必要ではないと言われることはとても恐ろしい。何を縁にそこに居ていいかわからなくなる。
肺の内側からじわりと血が滲んだような、呼吸がうまく出来ない感じ。恐いことを反芻する癖。生きているのは苦痛だ。
ゲームと本で苦痛をやり過ごす。私でもいいと言う人がいるから私はまだ生活していられるが、その数少ない関係が蜘蛛の糸の様に切れることを恐れている。見捨てられない様に丁寧な仕事をするんだよと私の中の誰かが助言する。わかっている。それができるならば不安は減るはずだが。
8月16日
明日もお休み。なにもしたくなくて退屈すぎて、気になることを少し考えていたらとても不安になってきた。これは正当な不安かもわからない。こわいことを想定してしまって動きたくない。
こわいのは嫌だから、明日は友達に連絡を取ったり家事をしたり何か行動して考えないようにしよう。
8月13日
昨日の続き。長い付き合いを持っている人が羨ましく、同時に少し妬ましい。私でなくても代わりがあるだろうと思っているけれど、私が必要だと示してほしいと願っている。信じきれないくせに。そんな自分勝手な自分も許してほしいのだ傲慢にも。救われないね。