8月12日

特定の他人と長い時間付き合う技術があるとしたら私にはそれが欠けている。あんな風に無邪気に笑えない。思い出に思い入れがないことが悲しい。
別れはいずれ来るものだと私は当たり前に思っているし暗に言っているらしいのだけれど、その考えを諫められたことがあった。別れは来るかもしれないが、そういうことを想定して言語化するのは信用してくれていないせいかと問われた。信用していないのは私であってあなたではない。あのときも今も応えは変わっていない。
「いつかお別れする日までお付き合いしてください」が私の誠実な応えで、それ以上は嘘になってしまう。嘘でいいならいくらでも言えるけど、「死ぬまで、いや死んでからも、ずっとずっと一緒だよ」と。

7月26日

君のことなんかもう忘れた。と頭の中で呟く。言いたいが言う機会のない言葉。語のテンポが好きなんだ。なぜかこのメールを書くときに言いたくなる。
ルーチンワーク、プラスのお仕事が今月中期限で忙しい月末であります。あとあれとこれとそれもありますがと思いつつ、とりあえず後回し。手が回らないし頭も。
明日は、家を出て暮らしている弟が同棲してる彼女を連れてくるらしい。わーお。ケッコンとかそういう?姉的に肩身狭いかも。が、直接会うわけでない(なにせ平日仕事だもの)から別にいいけど、お相手が少し気になる。まあ私がすることは、共用スペースの私物をとりあえず自室に引き上げて、多少キレイに見せることくらい。そしてこれからその作業です。残業、プラス掃除。疲労、プラス肉体労働。
願わくば、生活にプラス潤いを。

7月5日

透明、薄い灰色、紺、濁った白、深緑、橙。コーヒーより紅茶。ショートケーキよりモンブラン。太陽光にあてた寝具。
たまに自分の好きなものを羅列したくなる。忘れてしまわないように、どうでもよくなってしまわないように。
私が希望する未来には私としての私はいない。私というには変わった誰かかもしくは不在である。いらないものがあるのだった。

死ぬまであと三ヶ月だとしたら

会社を辞める。引き継ぎに二ヶ月は必要か。通常は三ヶ月掛けるけど、まぁなんとかなるだろ。
同時に部屋を片付ける。ぐちゃぐちゃのまま返すのは忍びないし、見せたくない本やものがたくさんあるから処分しないと。パソコンもデータを消す。
あとクレジットカード等を解約して、銀行口座と定期貯金から金を引き出す。葬儀代くらいにはなるはずなので、使わない分は片付けた自室に置いておく。
あと、家を出て、一人でいられる住居を借りよう。できれば敷金礼金なしで月単位で借りられるとこがいい。
寝具と遮光カーテンと少しの衣服と処分できなかった本とケータイと充電器と、適当な飲み物食べ物と歯ブラシと小さいバスセットと、できれば静かな環境があれば言うことない。
そこで誰にも会わずにのんびりだらだらして好きなだけ寝て寝疲れて起きて何か食べて本を読んでまた寝て、たまに空気を入れ換えたり、身支度してから外に出たり、そんな生活がしたいな。
死ぬ日には、その部屋も片付けて持ち物も処分して、ケータイと身分証と小銭だけ持って海に行きたい。晴れているといいなあ。


なんてな。幸せな未来を想像してみた。死ぬことを前提にすれば幸せを想像できるけれど、そうでなければ難しい。
それでも幸せを考えている間はわりと幸せです。

5月26日

誰かが私を大事に扱ってもまた雑に扱っても、私は私を許せないし、相変わらず死ねたらいいと思っているよ。
大事に扱われるのは幸福だけど罪悪感もある。好意の大きさが違うことに気付いているから。

5月19日

口に出さなくてもわかってほしいのは傲慢だ。知りつつも口に出さない。好きになってもらって、少し甘やかされて、それでも私が変わるところはあまりない。むしろ傲慢さや慢心が冗長する可能性を危惧。
私を必要とされないならなくなってもいい。私に何かが不足していると判断した人が周りにいると知った。それが痛いことだと言うつもりはない。痛いと思うだけ。
言葉次第でなんだって正しく作り替えられる。言葉で正しく飾ることができるのはいいところだと思うけど、痛みの原因を取り除けるわけではない。
言葉を上手く扱えるあなたは言葉を過信していると思うよ。何でも言ってほしいと言われても嫌いになってしまうかもしれないと言ってほしいわけではないでしょう?