どこにだって日常がある

例えば。旅行に行った先の観光地の土産物屋、の店番のおばさん。例えば。旅先のホテル。従業員が世間話をしている。
その空間は私にとっては非日常だけど、彼らにとって日常でしかないということ。
慣れてしまえばそれは日常。
土産物屋の隅の方の埃で薄汚れたスペースだとか、従業員のダレた雰囲気だとか、レジの人の慣れた手つきだとかに、いつも不思議と日常の気配を見てしまっている。初めて行ったところだとしても。
ここにも暮らしがある。どこにだって膿んだ日常があるんだきっと。


私は日常をどこに置くかずっと迷っていたのだけれど、そして今も迷っているのだけれど、馴染んでしまえばどこでも一緒なのかもしれないね。