ああ野麦峠てか

うちの両親は、アルコールとテレビが大好きであります。ふと「パンとサーカス」という言葉が頭をよぎる。大衆には食と娯楽を。そこに行き着くのは、ちょっとやだなって私は思っていて、でも今の私は間違いなく彼らと同種であるね。
複数のロールモデルが私の中にないから選べないのかも。そして未知にダイブする勇気がない。現在進行形のモデルは結末が見えない。から、選べない、か? どうせ死ぬだけじゃない。と、捨て鉢な勇気がほしかったのではなくて。そうだな、確かなコースのメニューがほしかったんだけど、変動が激しい社会はそれを用意できない。「オーダー!季節の野菜を使った料理!」と、その程度の選択なら可能である(興味を元にした職業選択)。それでどんなものが用意されるか、待っているようなもの。信用できるシェフはいないが。ある意味博打。もしくは、選んだものの中に無理にでも価値を見いだす才能が不可欠。やりがいがあると呪文のように唱える努力を。
選択できるロールモデルの数を増やすのが、頭の良いやり方かもしれない。と、周回遅れで気づくから、私は頭が悪いのだろう。


どうでもいいけど、いつか読売新聞の書評で、三浦のしをんタンが女工哀史萌えとか書いてて絶望したのを思い出した。