変わらないものに固執する性質の元にあるのは

価値観か、なぁ?
暇つぶしに過去を掘り起こすのは、私の悪い癖なのだけれど、こういう価値観が形成されるような経験だったのかもと、思い至った事象がいくつか。
私が住んでいるところは今でこそ郊外のベッドタウンだが、かつてはただの田舎町だった。私が幼児くらいの頃から街開発(?)に着手していたようだ。誰も住んでいない山というか林というか、とにかく木とか背の高い草とかが茂っていた土地が、更地になり、道路が作られ、家が建ち、人が増えて、店が出来て、往来も増える。そういうのを間近で見てきた。
私の世代は、小学校一年生のときは一組しかなかったのに、卒業するときには四組まで増えていた。転校生が多かったからだ。もう一回り下の世代の頃には、新しい小学校が出来ていた。
登下校の途中にあった木苺の木は、いつの間にか切られてしまって、新しい道路では、よく車に跳ねられた狸の死骸があって、都会の方から転校してきた子達は少し垢抜けた雰囲気で、増えた車の排気ガスのせいか少し息苦しいと思っていた。
いろいろなものがなくなって、代わりに増えたものもあるし、便利にはなったのだけれど。私は私が大人になる前に、こんなに急に変わらないでほしかったんだと思う。私が変わる前に周りが変わるので、どうしたらいいかわからなくて立ち止まってしまうけど、周りは速いスピードで変わって行って、なんだか置いて行かれているような気分を持ち続けている。