朝待ち

「好きな人や物が多すぎて/見放されてしまいそうだ」(椎名/林檎「月に負け犬」)
ネットばかりやっているとそんな気分になる。きれいなものがたくさんあって、私はそれを知っていて、なのにそれから私は何もしていないこと、そこから何にも繋げられていないことが悲しい。
故意に生活を疎かにしてまで、きれいなものばかりを追い続けている。その行為がきれいでないことは、泣きたくなるくらいよく知ってる。
きれいなものは本当にたくさんあって、血眼で見つけていても、たぶんいくらでも取りこぼしている。惜しいと思う。探すか。探してどうするのか。きりがないのに。世界では、きれいなものが、きらきら光って消えていく。ネットのように痕跡も残らずに。
私はそれを探している間、何もしていなくて、何も手元に残らない。「僕を認めてよ」(同上)とは思わない。こんなものは認められてはいけない。認められるには、それだけの価値がなければ。ないなら作らなければ。でも、何ができる? 今更、何ができる? と過ぎた時間に臆病になってしまうのだった。


晴天の朝になれば、少しはマシな気分になって、不思議と卑屈さを忘れることもできるので、私は今それを待っている。