個人を崇拝するのは危なくね?


RA.DWIM.PS「ふた.りごと」(.は検索避け用です。)
前からこの曲を聞くたびに、なんかきめぇって思ってたんです。それは女神崇拝(=マザコンを連想して嫌)だからかなーと思ってたんだけど、それもあるんだけど、それより個人崇拝だからだわたぶん。
「彼女を崇拝する僕」的な彼が嫌なんでした。(「お前」とか「君」としか言ってないから、彼女じゃない可能性もあるわけだけど、それは置いといて。)信仰が嫌とかいうのではなくて、信仰する対象が現存する身近な人物(という印象を受けた)なのが嫌なんだ。過去に実在した人物なら、勝手に造形して創造しなおしたって構わないだろうと思うけど、現存する身近な他者だと、彼の中のイメージがその他者とずれてきたら怖くないかなと。どっちかが付いていけなくなるんじゃないかなと思って。だって人間って変わるし、「彼女」も変わるし「僕」及び「僕」の中のイメージのどちらも変わるはずだ。「彼女のイメージ」を崇拝してる限り、ずれが拡大して許せなくなったりして、「僕」と「彼女」の関係を壊すか、「彼女」を壊すか、「僕」を壊すかしなくちゃいけなくなると思うの。そういう不安定さが怖かったんだ。「彼女」が言うこともなんとなく自己暗示っぽい頑なな感じがするし。
信仰はある程度静止した(完成した)状態の何かに対して行われるものだと思っているからね。
いっそのこと、ここでいう「彼女」の存在そのものが全部「僕」の想像の産物だと言われたら、私は安心するんですけども。