捨ててみる

久しぶりに風邪をひきました。熱もあったりで、たぶん体内でウイルスvs白血球みたいなことになってんでしょう知らないけど。ちゃんと身体は生きているなと再確認をしています。
安静にしていると退屈で。でも図書館行ったり料理するとかはちょっと人にうつしそうでやだし、とか言ったら弟が本を貸してくれた。ライトノベル
読んでいてあまり面白くなかった。ここの文章は比喩表現にしては的外れとか、直接的な表現は気恥ずかしいなとか。テーマ自体も少し陳腐な気がしたり。そこで、あれ?って思う。今、所詮ラノベだからとか思った?
私はクラシック音楽はめったに聞かない。気が向かないのもあるけど、耳が肥えたらと思うと。巷の音楽がくだらなくつまらない雑音になってしまうと困る。今、良いものと感じているものを否定するのが怖いんだろうか。いや、たぶん稚拙な表現の中から、何かしらの感覚が掴めなくなることが怖いのだ。技術的に優れた表現でないと、そこにある感覚を掴めなくなってしまうのが。どれも差別したくなかった。
でも近頃、それは間違っていたかなと思う。他人の感覚を拾わなくてもいいのだきっと。稚拙な表現でも、共感するところを見つけて、繋げていくことが楽しかった。そうしないと自分がなくなるような気もしていた。どうせ全部は拾えないと知っていたけど、出来る限り拾わないと何かを失いそうに思っていた。単に不安だったのかもしれないし、成長途中でいろいろ集めることが必要な過程だったのかもしれないけど。今は繋げるより他のことに興味が移った。自分の表現が上達するには、より上手な表現を見る方が早いということ。
ラノベでも、上手いと思えるようなものもあることは覚えておきたい。受け取るときの表現の形態には拘りたくない。今日読んだ本はもう読まないけど。ちなみに、読んだ本のテーマはたぶん、自分の由来と行き先の空白と生きる意義という極めて現代的な感覚だった。そこには少し興味を持ったけど、続きを読むほどの価値をその本に認められなかった。
なんだか年を取ったなと思う。非効率的なものは捨てられるようになったことが。さらに年を取ったら、どう変わるんだろうな。