人類リセットという妄想

前に講義かなんかで宗教戦争の話を聞いた。私は日本人的葬式仏教(葬式だけは形式上仏教だけどそれ以外は無宗教)派なので実感できないのだけれど、人によっては、というか現在の地球上において8割以上を占める信仰を持つ人々にとっては、信仰というのは自己の一部で生活の一部で生き方の指標だったりするらしい。だから違う宗教の人とはどうしても理解しあえなかったり反発したりするという。なんかもっと難しくて壮大な話だったけど、何年か前のことなのであまり詳細は覚えていないが。
ええと、それを聞いているときに私はどうすれば宗教戦争がなくなるかをぼんやりと考えていた。例えば宗教をなくしてしまえばどうか。生き方がわからなくなる人が出てくるか。無宗教っぽい日本だってカルトも含め宗教はなくならないのだ。なら、宗教をひとつに統一してしまえばどうだ。どれかひとつにするか、いくつかの宗教を統合するかしてさ。いやでもそれは長く生きてきた人ほど選択できないかも。今までの生き方が否定されることに成りかねないから。じゃあこれから生まれる世界中の子供を隔離してひとつの信仰の下で教育してしまえば? 100年後くらいにはひとつの宗教だけ残るんじゃないか。うん。しかしその場合、どの宗教を選ぶかで教育する側が揉めるだろうな。結局同じか。それにもしできたとしても子供が成長してから宗派替えすることだってあるだろう。不満を持つ人の中には、不満の原因を宗教に求める人もいるだろう。別の宗教がなくなっても、かつての宗教を再び呼び戻すことは記録さえ残っていれば可能だし。新しい宗教をつくることもできる。ま
た繰り返すことになる。
人類は何もなかった頃には戻れないんだなとふと思った。リセットできない。子供はまっさらでも遺伝子が昔とは変わってしまっているだろうし。環境によるものだけでなく遺伝的なものだってあると思うし。だいたい子供はひとりじゃ生きられなくて育てられなければならなくて、社会の中で育てられるというのは即ち社会化されるということで、まっさらな世界なんてできないのだ。
宗教戦争の話をしていた人は最後に「世界をより良くするために私たちが考え、そして変えていくのだ」というようなことを言った。私は少し笑った。なんだか随分遠いことをおっしゃる。それに、もうこれでいいじゃないかと思う。変えたら変えたで、不都合が出てくるに決まっているのだ。まして理想は時代により社会により変わるのだから、それに近づける前に理想自体が変わるかも。私は私の分の生命エネルギーをこの時代の流れの中で使い切るだけです。