宗教的な正しさの使い方

宗教について少し勉強し始めた。まぁ三流大学でやる講義を聞いているくらいだから、たいして専門的なことを学んでいるわけではないけれど。


不安を打ち消すには、エネルギーが要ると思う。いやいや全然だいじょうぶだって!と自分に思い込ませる分の労力。心理的な消耗。
宗教は、まず不安をあまり持たせない。だって、正しいから、疑うべくもないことになっている。疑わないでいられるなら、不安は少ないでしょう? 不安が少なければ、対不安用の余ったエネルギーを他のことに有効活用できるし。それに、自然に堂々と振る舞えるので、周りからの評価も高くなりそうじゃないか。
誰かが作ったマニュアル通りに生きているから、失敗なんてしないし、してもそれは私のせいばかりではないと。失敗したら、信仰が足りないせいだとかいうことにして問題をすり替えて、直接的に自分の能力の自己批判はしなかったり。他にも、認められないのは間違った信仰である他宗教や無宗教の人間がいるからだとか。
正しいと思っているから、不安がなくて、不安がないから、正しいように見える。効率的。
しかし、私は残念なことに、宗教を通しての自己承認が紛い物のように思えてしまうのだった。