やり過ごしたり忘れたりするのは不自由だって話

最近の嬉しかったこととか、悲しかったこととか、怒ったことってなに?という問いは、自己分析に有効らしいのだけれど、私はこういうのに答えるのが苦手だ。思い浮かばないんだよ。「最近」の範囲をここ一週間くらいと限定すると、ほとんど出てこない。なんていうか、あんまりそういう感情を持った記憶がない。学校行ったり家にいたり買い物行ったり人に会ったり本読んだりしたけど、そういう行為がどことなく上の空で、嬉しいとか悲しいとか怒るとか、なかった気がする。自分のことじゃないとダメなんでしょ? つまらなかったこととか、おもしろったこととか、落ち込んだことならあったけど。あとは不快だったこととかね。
現実の記憶はどっかあやふやで、一人でいたときの記憶には、そのときの感情が入ってないし。そもそも一人でいるときって感情とかないんじゃないかなと思う。誰かといるときでも、会った人が表現していた感情の方がリアリティがあるような気がする。他には、読んだ小説の中で表現されていた感情も思い出せるよ。自分が考えていたことも思い出せるけど、どんな感情があったのか覚えていない。そもそも何か感情があったのか。自分という入れ物の中に、注がれているだけな気がする。何か出てくるもののがあってもいいはずなのに。
自分を論拠にして、何かを語れと言われたときに話す材料がなくて、ちょっと困るよ。捏造ばかりじゃ真実味がないし、矛盾してるんじゃ嘘がバレちゃうからね。信頼がなくても構わないなら、これでもよかったんだけど。これからだと、そうもいかないなぁって思います。信頼されるのは苦手だけど、見捨てられるよりはまだマシな気がするので、そっちを選びたいよ。