Yahoo!ミュージック - ミュージックマガジン - 宇多田ヒカル

最近この人気になるんだよ。

http://magazine.music.yahoo.co.jp/spt/20051221_001/interview_002
『Be My Last』と『Passion』。曲調も雰囲気も詞の書き方も異なる2曲なのに、宇多田ヒカルのなかではこの2曲には共通するものがあるのだという。


「今までの歌詞って、たとえば私ともう一人とか、わりと同じ大きさの相手とか人間とか。もしくはただ私と誰かが同じ時間の上でどうなるとか、ぶつかり合う設定が多かったと思うんだけど、この2曲と最近できた1曲の歌詞を見てると、私とそのまわりにうずまくすごく大きな世界のシステムっていうか……。この世の在り方みたいな設定な気がするのね。図に描くとすごく簡単になるんだけど、中心にいる私があって、その周りに大きな円があって、そこでいろんなものがグルグル回ってたり停滞してたり、点滅してたり、ぶつかり合ったりしてるのが、全部一個の小惑星みたいな感じで……。その世界の輪廻転生(りんねてんせい)とか過去とか未来とかがいろいろうずまいているっていうのが、わりと共通してる基礎かも。なんだろ。なんかそういうことが書きたい時期なのかな」

B-DASHのENDLESS CIRCLEとかもなんかこんな感じだった気がした。なんかカルマ(業)みたいなかんじですかね。あんまり宗教詳しくないから間違ってるかもしれない。調べてみたけど(カルマとは)よくわかんね。そういやバソプもカルマって曲歌ってたな。


なにが言いたいのかっていうと、今の時代の流れとして部分的に宗教回帰みたいな現象があるんじゃないかってこと。多様性が認められるようになってきたので(多様性が認められるってことは、自分がいろんなことを選ばなきゃいけないってことで、それは不安の元だと思う。)、それに対しての不安の解消としての宗教。自分の信念の支えのひとつとしての宗教。それは、例えばイスラムとかキリストとかが全て正しいとして信仰するようなことではなくて、そういう宗教の中から自分の考えに合致した部分を取り出して安心するような。理由付けのひとつとして宗教が使われるようになってきたんじゃないかってこと。
日本人は宗教に偏見を持ちすぎたことも影響してるのかもしれんけども。




私はたぶんおおまかに分けると仏教徒。なぜかというと自業自得とか因果応報とかいう言葉に違和感を感じないのと、一神教は感覚的に受け付けないから。東洋思想は持ってるかんじ。あと正や悪は相対的なものだっていう感覚を持っているけども、それはやっぱり仏教のものらしいし。(だから、上でのカルマとかそういう感覚もわかるなって思った。)だからといって、煩悩を全て払おうとかいう気はないし、修行する気もないから、真の仏教家ではないとも思う。こんな感じで、部分的にでも自分の宗教を自覚することは宗教回帰な気がするんだ。
どうでもいいけど輪廻転生って「りんねてんしょう」って読むんじゃないの?


参考:Iwatamの何でもコラム:日本人の宗教嫌い