意欲と自尊心の関係

人は失敗を予測すると努力をしないと思う。失敗するとわかっていることに努力するのは、無駄だって考えると思う。
失敗を予測したとき、自分が努力して、それでも失敗したら恥ずかしいと思うはず。努力しなければ(さらに言い訳をすれば)、肯定的な自己イメージが保たれる(という心理的な自我防衛機能)。だから、自分の自尊心が満たされる、というか擦り減ることはない。
でも、失敗すると思うかってのは主観でしかなくて、他人はいつも自分よりその物事を簡単なことだと思うらしい。まぁ他人事だしな。
それも含めて、他人は努力しない人を低く評価する。例え、他人から見ても明らかに失敗することでも、努力している人を高く評価する傾向がある。特に学校ではそう。
だから、自尊心を高く保っていられる人は、他人からの評価が低いことが多いんだろうなと思うよ。そんで、他人からの評価が高い人は、自尊心もほどほどなんだろうな、と。
たまには、他人にわかりやすいように努力してみればいいんじゃないの。自分の自尊心はひとまず脇に置いといて。他人からの評価は、自分の自信にもなるだろう。
一般的に、周囲や環境を変えるより自分を変えるほうが簡単。
例えば、社会を変えようと思ったら、まず自分の理想の社会論を作って、それから権力を手に入れて(ないと人に話を聞いてもらえない可能性がある)、他人と議論して説得して多くの人に賛成してもらって、っていうプロセスが必要。(社会は人の集合体だから。)そんなの大変すぎる。(それに、他人を変えようとする人は自分の基盤がしっかりしてなきゃならない。アイデンティティというか、なんかそんなの。大げさな例えだと、心理カウンセラーは、患者に影響されてしまったら的確な判断が出来なくて、患者を治療することが難しくなるとか、そういうの。)(だから、私は社会を変えるとかは、自分のことであんまり悩まない人がやればいいと思うよ。)
だから、とりあえずやってみることも有効なんですよってこった。


参考文献は『やる気はどこから来るのか−意欲の心理学理論』奈須正裕。なんかやる気でねーなーって人は読んでみるといいかも。理論でわかってもやらなきゃしょうがないけどね。