母と娘という関係について

母は娘を育てるとき、自分が成し得なかった人生を、代わりに成させることで満足することがあるそうだ。それは、娘に自分がやりたかったことをやらせようと望むのと同じ。例えば、自分(母)は経済的、社会的事情で大学に行けなかったから娘には行かせたいとか、娘こそは自立した大人になってほしいとかそういうこと。


(思い出語り)
これを知ったとき、あるあるwwwwって思った。思い当たる節がたくさんある。
一つ目はピアノを習わせたかったらしいこと。私が幼稚園の頃、ヤマハ音楽教室からお子さんを習わせませんか、みたいな宣伝の葉書きが来た。それを見て、自分はやりたかったのに出来なかったから、私には習わせようとしたらしい。
「ピアノ習わない?」「えー、やらない」「なんで?」「あんまり・・・」「ピアノ弾けたらいいと思わない?」「べつに」「ほら、エレクトーンも出来るって。エレクトーンでもいいわねぇ」「・・・」「やらない?」「・・・えー?」「本当にやらない?」
そのとき、母があまりに必死に思えたので、私は「じゃあ、やる」って言ってしまったのでした。子供ながらに失望されるのは怖かったらしいです。その後、母は「別に無理してやらなくていいのよ」と言った。けど、一旦言ってしまった以上やるしかないように思えて「ううん。やるよ。やりたい」と言った。本当はピアノもエレクトーンも興味がなかった。そんなわけで私はエレクトーンを習い始めたのでした。このエピソードは私の記憶が捏造でなければ大体本当のことです*1。「本当にやらない?」って言ったときの熱のこもった、悲しそうな声の印象は今でも確かなものとして覚えている。結局、そんな調子で始めたものだから、あまり上手にはならなかったけど。音楽に興味を持てたので、今ではいい経験だったと思えている。
二つ目は大学に行かせたかったらしいこと(母は専門卒)。これは私もモラトリアムを望んでいたし、できれば大学に行きたいなと思っていたので、ここでは無理もなく利害の一致を見た。
三つ目は成人式に振袖を着せたがったこと。ここは、私が妥協した。目立つの嫌いだし、着物って着付けが面倒そうだから嫌だったんだけど、スーツの方が逆に目立つよと説得されたのと、私が特に強い望みを持っていなかったので、まぁいいかと。それに、なんとなく母の望みに従えるのはこれで最後なような気がしていた。二十歳になれば、大人として自立できるかもという期待があった*2。ちなみに振袖は母方の祖父の望みでもあった。娘(私にとっては母)に出来なかったことを孫娘(私)にやらせることで償うことが出来たように感じていたのかもしれない。余談だが、このときばかりは自分がもっと見た目かわいい子ならよかったと心の底から思った(母は割りと美人だ)。そこまでしてもらってもあんまり見栄えがしない娘で(特に祖父には)本当に申し訳なかった。
(思い出語り終わり)


母は、私に*3「かわいくてやさしくて真面目で従順ないい子」を期待していたのだと思う。私は小さい頃から(性格も)あんまりかわいくない子供だったので、さすがにその期待は私が小学校に上がる頃にはほとんどなくなっていたとは思うが。それでも、母が時折覗かせる理想の子供像は、私にはストレスだった。そのストレスが蓄積されて、小学高学年時と中学時代はやたら反抗的な振る舞いをした*4。それでも母は、そのストレスの原因の根本的なところが母の期待にあったことに、未だに気付いていないようだ。反抗期を過ぎてから、私はそのことに気が付いた。私は(母の娘としてではなく)現実に存在する個としての私のことをわかってもらいたかったんだと思うけど、それは過剰な期待だったようだ。そこらへんで、私は母に見切りをつけた。もう期待しない。一緒に生活する人として、仲良くできればそれでいい。そして、自分で稼げるようになったら、この家を出て行こうと決めた。理想を押し付けられても困るし、悲しいし、いいことない。きっと、母も自分の思い通りに行かない娘に対するストレスはあるだろうと思うが、私は母の代わりの生き方をするつもりはないので、そこはごめんというしかない。これも余談だが、わかってもらうことは諦めたけど、今まで手を掛けて育ててもらったことには感謝をしているし、恩返しもこれからしていけたらいいなとは思っている。


また、母は娘に嫉妬することもあるそうだ。娘が自分(母)のやりたかったことをやり、高学歴を獲得し、社会に出たとする。そこで母は、自分が出来なかったことをしている娘に嫉妬する。自分は(ご飯を作り、夫や子供の世話を焼くなどの)したくもない家事労働をしているのに、娘はそれをしないという嫉妬。母は娘に家事をさせれば自分が楽になるのにと思っているし、同じジェンダーにいるはずの娘が、母と同等なはずの娘が、父や息子と同じ、世話を焼かれる側になることが妬ましいと思う。


これもあるなと思う。母は私にエレクトーンを習わせたくせに、「私もやりたかったな」などと言っていた。大学に進学したときも、「私の頃はおばあちゃんが許さなくってねぇ。私も大学行きたかった」とか言っていたものだ。まぁ、いつしか私はそれを受け流すことが出来るようになった。例えば、「ピアノをやりたかった」と言われたら「今からでもやればいいよ。大人でも始める人いるよ」と返す。「大学に行きたかった」も同様。そう返すと母はだいたい黙る。たまに「そういうことじゃないんだけど・・・」と言い始めることもあるが、「じゃあどういうこと?」と聞くと答えられない。代わりの生き方をさせようとしていることに、意識しない部分では気付いているのかもしれない。それとも、ただ考えないようにしているだけか。こういう受け答えをすることで、母の理想を私に期待することの不毛さを少しでもわかってもらえたら嬉しいという意図があったんだけど、功を奏したのか、最近はあまりこのようなことを言わなくなった。かといって、自分からやりたかったと言っていたことをする風でもないが。それは母の自由なので勝手にすればいいと思う。


参考文献は『セクシャリティの心理学』小倉千加子。女の子で自分に疑問がある人は、読んでみたらなんか気付けるかもよ。
(関連)女子高生が母親を毒殺未遂2
過去に書いたもの。母親の抑圧による犯行説。

*1:人は、記憶を自分の都合のいいように捏造することがあるらしいよ。

*2:自分は大人になるんだから自立できるようになるかもという期待と、周囲にも大人として扱ってもらえることを期待していたという意味で。まぁそんなことはなかった訳だが。

*3:正確には母の娘に。生まれた子は私でなくても女ならよかったんだろう。

*4:まぁ普通に反抗期なわけだが。ストレスの一端は確実に母の期待にあったと思っている。