私が神様だったら

「私が神様だったらこんな世界はつくらなかった」って歌ってたのはちゃっともんちーで、歌声が頭から離れてくれなくてね。
私が神様だったらどうするかなとかぼんやり考えた。
神というものは人の思考が及ばない存在なのだと、どっかの一神教の人がいってた。が、試しにそうでないとしようか。
こんな世界はつくらなかったか。さて、今この世界に不都合があるかい。幸せだとか不幸せだとか貧困、戦争、差別に偏見などありつつも人類は生き延びているじゃないか。
私が神様だったら自分より下位の生き物について思い煩ったりしないんじゃないか。ペトリ皿の上の菌類が繁殖しているのを眺める気分で。
この世界はサンプルAで一つの実験かもしれない。でもそれはこの世界の中にいる限りわからないけれど。
人が皆、絶望に押しつぶされるなら、単に人は生存に適しない種だということになるんじゃないの。大脳が発達すると生存に適しませんと。条件=環境にも因るかしら。
今のところ、生命は人類は生き延びている。個体が不自由を感じようとも、全体がなくならなければ別によいのかも。


ああ、そんでやっぱ神様とかいる気がしない。
ID論(いんてりじぇんとでざいん?)て前にどっかで耳にした。神様が人間をつくりたもうたとかいう話に進化論を足したような説。生物の進化は最終的に人間をつくるように神の手によって導かれていたのだよという感じだったはず。(米とかでそれを科学の教科書に載せるかという議論があったらしい。さすがキリスト圏。)
この世界には人の運命を司る何らかの超越的な律、神の手が存在するのだろうか。少なくとも人は自らの意志さえ自由にはできない。ってベルセルクですけど、そういう問いに答えを見つけようとしたら、今のとこ宗教か幻想か信念とかしかないんじゃないかなーと思うし、科学的に生まれた意味だとか裏付けらんねーでしょと思うし、だから疑問の解決法としては間違ってないだろうが。
しかし、実のところ意味があるかは不確定。偶然を運命と読んでいるのかもしれなくて、不自由だからそれが神の与えたもうた試練なのですと解釈したって、だからどうしたとも思う。偶然不自由なのと同じくらい理不尽じゃないか。試練なら、明るい未来が約束されてますって言うのかな。
理不尽なこと、不自由なことの理由付けするときに、神とか宗教とか必要になってるっぽい。逆にいうと理由付けしない限り必要ないんじゃないかと思う。
現象に意味とか理由とかあるような気がしてしまうのはなんでだろうね。理由があればなんとなく安心できていいと思うけど。そう思うから、実際は理由とかないのかもしれないとも思う。安心したいから勝手に作ってみましたってことでしょ。
理由なんかいらなくて、疑問も持ちたくなくて、ただ楽観的でいられたら一番いいのにな。
って歌から連想連想でここまで飛んだ。結論はいつも同じよ。