大人ってなんだろね

って話をしたことがあった。「もしこのまま」を歌っていたら、そんなことを思い出した。
大学行ってた頃に、ゼミ(みたいなやつ)でそんな題材のレポートを書こうとした人がいたから。
その人は社会人で(学校に夜間授業制度があって、何人か社会人の人がいたのです)、たぶん30代半ばくらい?
私にはその人はちゃんと大人に見えていて、でもその人は、自分が大人な気がしないって言うんだよ。で、大人のテイギってなんだろって。
私はそれを聞いて、そんなもんかな?とか思ったりしたんだった。年を取っても悩みはつきないんでしょうなぁとか他人事みたいに。だって、私はこの先そのことで悩む気がしないから。大人って、自分一人が食ってける稼ぎと表面的な大人の装いがあれば、十分じゃないのって思う。それは私が大人というものを大して信仰していないからなのかも。いや、まだ社会成員でないからかな。どうだろ。
その人は今の大人の幼稚性が気になるみたいだった。たぶん「大きな物語」の凋落的なことを前提にしていたのだと思う。絶対的な価値観(共同幻想)の崩壊後の現代において、大人とはなにか、ということ。
それに対して一人の女子大生が、親になることじゃないかって言ったんだ。特に女性は、妊娠出産育児の身体的精神的変化があるわけで、それを通して大人になったと言えるんじゃないのって。
そうだとすると、じゃあそれを外れたところにおいては? 特に男性はその身体的変化を経験できないので。通過儀礼がないんだよ。このレポートを書こうとしていた人は男性だったから、他の落としどころを見つけられないと終われないだろうと思う。
社会的セキニンとかそういう話になるんだろうか。それとも、違ったかたちの通過儀礼を求めるのか。
その人がその後どんなレポート書いたのかは知らない。