宗教って思考停止のツールだと思うんだ

神とか聖典とか誰かが言っていたこととかが正しいってことにして考えるのをやめる。不安に思うのをやめる。
そして、感覚を研ぎ澄ましてみる。宗教には身体感覚に関わる伝統文化がある。断食、瞑想、聖歌、お経、踊り、香とか。苦行とかも。宗教によっては薬物まで使用したり。効率的に感覚を揺さぶる方法がたくさんある。感覚を揺さぶって意識を変えることが出来る。専門用語で変性意識とかいうらしい。
考えすぎる人に、身体と精神のバランスを整えさせる役目が宗教にはあったんだと思う。
今の宗教にもその力はあるのか疑問だけれど。なぜなら宗教の正しさが胡散臭く思えるようになってしまったから。教義を信じきれないと不安がなくならないから。ということは、いろんな宗教をカスタマイズしたり独自の教義を作ったりして、個人が独自の宗教を作ることができるようになったということでもある。既存の宗教で満足できれば、その分手間が掛からないのに、なんだか面倒な時代になったなと少し思う。


私の知り合いで、この人は上手く生きているなと思う人がいるのだけれど、その人の趣味はマラソンだそうだ。何も考えなくなる感じがいいと言っていた。なるほど、きっと精神と身体のバランスがちょうどよく調整できているんだな。