タブーと背徳

性的なものに対する嫌悪感について、ぼんやり考えていたんですけど、背徳の快楽があるんだろうという結論が出ました。
例えば、オタクな方々の間でよく見かける性的妄想のひとつに近親そーかん設定というのがあります。近親で性的なことをすることをタブー視しているからこそ、想像上であれどもそれを破るという背徳の快楽があるんだと思います。同時に、タブー視しているから、想像上であってもそれを破る人がいることに嫌悪を感じる人もいるわけだ。
快楽と嫌悪感の境目がどこにあるのかは、まだわからない。けど、双方似たような価値観の中にいるのは確かなようです。
どの性的妄想を好むかということに個人の価値観や嗜好を見ることが出来るような気もします。あるいは抑圧の具合とか。
性的なものがタブーでなくなったら、きっと快楽は薄くなるんでしょうな。


「タブーは移動する」って斎藤さんが「博士の奇妙な思春期」*1って本で書いていたな。背徳を感じつつも破れるようなタブーは既にタブーではないのだろうか。刺激的なイメージでしかない?とかそんなことを。
じゃあ背徳の快楽を享受できる人のタブーは既に移動しているのかな。