服従じゃないよと言ってみる

昨日の続き。
服従したんじゃないよ。適応したんだよ。と言ってみる。私は適応を選択したのだ。他に選択肢がなかったのかもしれず、半ば強制的だったのかもしれないけれど。でも、適応したのだと言う。つよがりかな。
同じことについて解釈の仕方はいくらでもある。どっちだって変わらないけど、言葉のイメージが違えば認識も違うのではないかい。
内在した社会に自覚的ならば、自分の言動を自己分析するときに役に立つはず。