息苦しいのは嫌いです

オタク論とか非モテ論とかコミュ論とか死生観とか精神的健康とかそこらへん全部に精神的な生きづらさがそこにあるんじゃねーのって思うのです。だから私が興味あるのは、たぶんその精神的な生きづらさなんだなー。もういいじゃんみんな楽になりたくね?自己嫌悪とか不毛じゃね?とか思うし、思想や今までの人生なんて全部放り投げちゃっても実のところ生きていけるし生きられるってことを私は知っているし(もしくはそう信じてるし)、だから私はこう思うけど違ったら違うでいいじゃんって思うし、好きなようにすればいいと思うけど、それが許せなかったりするからみんな議論するんだよね。私も許せないと思うこともあるけど、それはなるべく言わない方向でいたいのです、だってわかりあえないことはどうしてもある。
オタ論とか非モテ論とかは、だいたい被差別側がよく議論したがるけど、実のところ差別側だってそうしなきゃ自身の存在や価値観が揺らぐから差別せずにはいられないのかもしれなくて、そこにもやっぱり生きづらさというか息苦しさがあるよなーとも思うんだ。
息苦しいのは嫌いだから、そこにある何かを納得できるまで分析して理由付けして楽になりたいのです。