娯楽としてのファンタジーに雑音はいらないんじゃね?

娯楽は、自分の悩み事や不安を忘れられるから娯楽なんだと思う。つまり、娯楽は自らの現実を思い起こさせるものであってはならないということ。
ファンタジーを、娯楽として楽しむこともあるだろうと思う。(ファンタジーとは空想であって、それは魔法と剣とモンスターがいる世界のみではなくて、超能力が使えたりとか、変身出来たりとか、そうでなくても都合の良いように物事が進んだりするような作り話のことだとして。)っていうか、大体の人はそうしているんじゃないかな。分析的に見ることも出来るけれど、基本的には、現実を忘れて虚構を楽しむものだと思う。ファンタジーには「リアルな自分」がいらないんだ。例えば自分の恋人や友人や両親や担任の先生や上司や終わらない仕事のようなことは出てこない。これらの現実に立ち返されるようなものは、ファンタジーの中では雑音で、存在したら邪魔なんだと思うの。
あと、ファンタジーにはあるパターンがあったりして、主人公と対立する「悪」は主人公たちによって倒されるし、異世界に飛ばされた主人公は元の世界に帰る、というような。ハッピーエンドやハッピーエンドでなくても、すっきり見終えられるように作ってあるものだと思う。後味が悪いと楽しくないからね。(悲劇もあるけど、悲劇は現実を良く見せるために逆説的に作ってあるのかもな。いや知らないけど。)
ファンタジーでもいろいろあって、自分が望んでいることを擬似的に満たしてくれるファンタジーが必要とされたりするんじゃないかな。「正義」を振りかざしたいとか、刺激的な日々を過ごしたいとか、現実じゃないところに行きたいとか。
だから、恋愛もののファンタジーっていうのもあると思うのね。エロゲとかはそういうものだと思っている。やおい妄想はファンタジーで、受けと攻めはくっつくっていう定型パターンで、その中では女の存在は雑音なんだろうなと思ったよ。最後に腐女子話でごめんなさい。でも性に直接的に絡むようなファンタジーのみ叩かれるのは、なんとなく釈然としないなーと思う。その嫌悪感はどこからくるんだろうね。


[教えて!goo] パンとサーカス
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人は、そこそこおいしい食べ物と娯楽さえあれば、わりと平気に生きられるようでした。