学生の視点からの会社選び

ある企業の方は「働くのは、誰かの役に立つことをすることだ」と言われました。何かを作るのも売るのもサービスするのも他の働くことも、結果的に誰かの役に立つことだと。組織をよりよくするために、引いては社会をよりよくするために働くと。
それはわかる。わかるけど。でも、誰にとっても正しいことがないように、誰にとっても良いものなんてあるのか、という疑問がある。もし、あったとしても、例えばなにかを作ることにしたって、必ず犠牲にするものがある訳で、犠牲の上で作るのがいいのか、作らないで犠牲もないのがいいのか、必ず正しいものなんてないじゃないかよという気がするのです。犠牲にするのが人材とか労働力だけならいいけども、例えば土地とかその土地の伝統とか資源とかを犠牲にしたりするのはどうよって思うのです。それも仕方ないといえば仕方ない。時代の流れなのかもしれないけど。
つまり、自分がやりたいことをやるというエゴイズムを許容すべきかもしれないと思った。もしくは、犠牲を考えない。正しさを信じること。


昨日のワールドビジネスサテライトという番組を見た。就職活動中の学生が就職先にどんな企業を選ぶか、みたいなことをやっていた。大手企業が人気あるらしい。曰く、安定性と将来性があり、優秀な人材が集まり自分も成長できそうだ、国際感覚があるとか。同時にライブドアを筆頭にしたベンチャー企業は選ばれないということも言っていた。
なんつーか、安定と挑戦というのは対極に位置するような気がするんだが、それは大手企業とベンチャーという形で置き換えられるか。いや、どっかのブログで見たように、大手企業の研修制度をひとつのステップとして利用し、それから転職するなり起業するなりして、なにかに挑戦するという戦略もあるし、大企業でも挑戦できないわけじゃない。むしろ、なにも挑戦しない企業は大手企業でいられないだろうし、そんな企業はそのうちまずいことになりそうな気もする。
安定性なんて期待するのは間違っているのか。安定性を確保した上で挑戦する気力があればいいんじゃないですか。ということで自分の中ではFA。どっちに転ぶにしろ大手企業は有利なんじゃねーかな。その分、競争率が高いわけだが。


同番組で、しゅうかつ中の学生が「中国語を学んだので、それが活かせる会社に行きたい」と中国と交流のある会社を見て回ってた。そういう探し方もありだと思うけど。君は中国語を話せればそれでいいのかね、という気になった。だったら中国に住めばいいんじゃないんですか。なんだか、将来のビジョンがないなーとか思った。人のこと言えないけど。
彼女が主張していなかった真意を推測すると、日本と中国を結びつける仕事がしたいとかいうことなのかもしれないけどさ。だったら中国語に拘らなくてもいいだろうよ。そんなに武器になるものなのか、君の語学力は。アピールできることに固執した結果なのかなーとか思った。そう考えると今の採用方法も罪さね。いや、こうなることを望んでいたのだとしたら罪でもなんでもないか。


会社説明会で席が隣の人とときどき会話をしてみたりする。向こうから話し掛けて来ることもあるし、こちらから話し掛けることもある。そこで、どんな風に会社を選ぶかということを聞いてみたりする。そこで得る答えは十人十色だ。「人と接する仕事がしたい」「この地域で仕事がしたい」「この業界で仕事がしたい」「この会社に魅力を感じている」「この商品が好き」。最後は「好きだから」という結論。〜することが好きだから。地域が好きだから。業界が好きだから。会社が好きだから。上の中国語の彼女のように違うことを言う人もいたけど。他にも違う答えもあった。「家から通えるところがいい」とか、「安定している会社がいい」とか。それもありだ。でも、そういう消極的な理由より積極的な理由を社会は重視していると思うから、やっぱり「好きだから」と言えることを理由にするのがいいんじゃないかと思う。