コミュニケーションにおいて「常識」を疑ってみる

「普通」とか「常識」とか「一般的」という言葉にちょっと引っ掛かりを覚えるようになりました。(私もつい使ってしまうことがあるんですけども。)それは、そう言ってる人が想定している「普通」とか「常識」であって、それが万人に共通しているわけじゃないっていう。誰かの「普通」が別の誰かの「普通」じゃないことがあるってことを覚えておいた方がいいと思う。

おらこんな村いやだ おらこんな村いやだ 東京へ出るだ
東京へ出だなら銭コア*1貯めて 東京でベコ*2飼うだ


吉幾三俺ら東京さ行ぐだ

わりと好きな曲なんですけど。彼の「常識」は都会の人の「非常識」なんですよね。(そのギャップがおもしろいんですけども。)自分の「常識」でしかものを考えられないと、こういうことになるんだろうなと。
これは無知によるものだけど、今の時代はインターネットとかでいろいろ見聞を広げられるから。自分と違う考え方・価値観を知るのに便利。
自分と違うからいけないことはない。違うからわかりあえないとかコミュニケーション取れないこともない。
ただ、自分の「常識」が相手と同じ「常識」だと思い込んで話を続けると上手くコミュニケーションをとれない場合があるから、そこが問題だと思う。自分と相手の考え方が違うことを忘れないこと。そして違うからといって否定しないこと。
仲良い人だったら、こんな懸念もあまりしなくていいんだろうけど。それほど知らない人と話すときには、こういう気遣い的なものが必要だと思う。




どうでもいいけど、親戚の叔母さんに「20歳過ぎたら料理が出来るのは常識でしょ。jjnagiちゃんは魚くらい焼けるわよね」とか言われたので「刺身なら焼けますよ」と言っておいた。生魚は原型を保っている時点で触れませんすいません料理できなくてすいません。

*1:金銭のことだと思う

*2: