かえらぬもの達に手を振って

大概の人にとっては読むに値しない過去話だと思いますよ。


私は、コンプレックス持ってて自信がなくて消極的で臆病で行動できなくて、そのくせ自己愛は持っていて自分に甘い自分が嫌いだった。
自分が嫌いだった頃は、自分がそうなった原因を考えたりしてた。
親を恨んだこともある。もっと違う育て方をされていれば、私はもう少しマシでいられたかもしれないのにって。今振り返っても、私の親は(私から見て)過剰にムラ社会的なところがあったりするので、少々偏った育てられ方をしたことは確かだと思う。実際に親が私に影響している部分もあるだろうなと、今でも思っている。
でも、それが自分を嫌いになった原因だったとしても、仕方がないことだ。私が自分を嫌いになったことに彼らが影響しているとしたら、彼らが彼らであることは彼らのせいばかりではない、ということも同時に言える。過ぎたことを恨んだところで何も変わらなかったし、私はもっと生きやすくなりたかった。だから悩むのをやめようと思った。
今でも私はあまり変わっていないけれど、それでも諦めて開き直っちゃえばいいやって思えるようになったから、そんなに悩んでない。考え方を変える方法は、もう知ってる。



「かえらぬもの達に手を振って、自分のためにもう一度。」*1*2みたいなかんじでいる。悩むのをやめたのは、結局は自分のためだ。これも自己愛なのかもしれない。けど、悩んで何も出来ないでいるより、誰かとコミュニケーションを取るとか何かを作ってみるとか働いてみるとか、何らかの行動を取れる方が建設的だし、そのために自己愛が作用するならそれでいいと思うんだ。
ここらへんで親の話は終わりにしたいなと思って書いた。

*1:B’z/Raging river

*2:ここで言う「かえらぬもの」っていうのは亡くなった人のことだと思うのだけれど(実際の歌詞は「帰らぬ者」って書いてあったと思う)、過去のものだという点では同じだと思うよ