デジタル化で省かれる「余計なモノ」への思い ひとりごと/ウェブリブログ

されには同意せざるを得ない。とおもった。


先の記事は、デジタル化の話だけど、ここでは本に焦点を絞っておもったことを書いてみる。
本をよく読む。本は好きです。なんかちょっとやばいくらい執着している、と自分でおもう。(だから出版関係だけは就職先に選びたくないなって思っているけど、それは別の話か。)
で。本をデジタル化するって言われても嬉しくないです。(辞書とか学術書ならかまわないけど。むしろその方が便利かもとかおもうけど。)小説や漫画なら本の方がいい。
一概にweb漫画・小説・イラスト、またはweb上の文章を否定するわけじゃない。webなら発表するのにコストが掛からないっていう利点もあるわけだし。
でも、やっぱり本がいい。web漫画や小説でも、気に入ったやつを本にしてくれるなら、金出して買う気がある。
触れないのがいやだとおもう。質量がないのがいやだとおもう。所有できないのがいやだとおもう*1。他にも、本の方が目が疲れないとかもあるし。
手に取れると、そこにあるっていう実感がわく。質量があると、その存在を忘れても再発見することができる。(大掃除で懐かしい本を見つけた。)
それがあることを私が忘れても、そこにあってほしい。私がいなくなっても、そこにあってほしい。とおもう。誰もが存在を忘れても、知らなくても、存在するだけで発見される可能性があるわけで。
webだと書いた人が簡単に消してしまえる。存在を忘れたらもう二度と見られなくなることもある。だから、形があることに私はこだわりたい。


本が大量にあると、整理が面倒だっていうのはあるけど。実際に、今日自室の壁際に積んでいた本が崩れてわりと惨事っぽいけど。そういう不便さも含めて、アナログがいいなとおもいます。そういう愛みたいなもの。

*1:所有欲はオタク的なかんじがする