不安

ブラジリアン・ガールと不器用な俺の物語 | かまって欲しい症候群
おもしろかったので読んでみるといいと思う。


多様性が認められるっていうことは、いろんなことを自分で選ばなきゃいけないってことで、そうなると自分が正しいかどうかは自分で決めるしかなくて、だからもしかして間違ってるんじゃね?って思ったとき自分を疑うしかないし。疑わないでいられたならその方がいいんだけど、自分を信じていられるっていう基本的な感覚を常に維持していられない人もやっぱりいると思う。自分はそうだ。
そういう人がいる原因は承認経験の不足かもしれないなーと思う。
承認を一番与えてくれるはずなのはたぶん親。幼い頃の経験は成長してからの経験よりその人の人格構成において大きな範囲を占めるはずだし。


で、承認をもらえなかったのは、親世代と子世代の価値観のギャップがあるからじゃないかなって思うの。
親世代はいわゆる日本的価値観っていうか横並びとか総中流とかそういうのがあって。そして、子世代は多様化が進んだ社会で価値観がかわってきて、親世代のモデル的価値観(単純な例としてはいい学校いい会社いい人生みたいな)が通用しなくて、親は子の価値観を理解できなかったりするんじゃないかなと。だから承認もできない。「勝手にしなさい。あなたの人生だから」。
なんていうか、それは親世代がだいたい一致した価値観を持っていて、だから他の価値観をもつ人と上手にコミュニケーションができなかったりして、だから子世代のことを上手に理解・承認できなかったりするのかもしれない。親世代の価値観が子世代に通用しないかもしれないってたぶんわかってるから、親世代の価値観をそのまま子世代に植え付けようとはしないけど、でも子世代の価値観を理解(というか納得?)はできないんだろうなと思う。また親世代の価値観をそのまま子世代に受け継がせても、社会とギャップを感じて生きづらいのは子供の方で。
なんかみんな不安で、だから承認が必要なのかもしれなかった。




あいかわらず適当なことを書いているけども、根拠は私の感覚くらいなのであんまり信用できないでいいんです。
「公務員がいいよ。収入安定してるし」って私の母は言うけど、それが本当だとしても私は収入の安定より他に望むことがあるんだよって言ってもわかってくれなくて「勝手にしなさい」って言われたよ。まぁ私が母になにかを期待してもいいことないってわかってるんだけど、一番距離的に近くにいるから、つい。やっぱり誰かにかまってほしいのかもしれない。私が一番信頼してる人にダメ元で泣きついても呆れられないかなどうかな。