幸福追求

今、僕は語ろうと思う。
もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは自体は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。

村上/春樹「風の/歌を聴け」
これを読んだときにああもうかっこいいな!と。そうだよそれだよ!みたいな。私みたいに日本語を正確に使いこなせる気がしないってはなから諦めてる人に共感されても嫌かもしれないけども、こういう文章には本当に憧れる。




非もて・非こみゅ議論もオタク関連議論も下流?議論も働き方議論もジェンダ−・セックス議論も、生き方議論なんだな。自分とか他人がよりよく生きられるようにしようって話し合いな訳だ。
日記とかネタとか作品みたいな文章*1は、自己療養のこころみやコミュニケーションの一形態で、つまりみんな幸せになりたいだけじゃね?って、なんだか妙に微笑ましい気分になったのでした。

*1:に限らないけども