いきるもの

今、読んでいる本から連想して思い出したことだけど。
知人がハムスターを飼っていて、それを家に持ってきてくれたことがあった。触ってみたいと言ったら、ハムスターを籠から出して、掌に乗せてくれた。手の上に乗せられたハムスターは、慣れているのか、じっとして動かなかった。
それは、小さくて温かくて柔らかくて、いきものの感触がした。同時に、これは容易に握りつぶせるものだと感じた。そして、だからこそ大切にしなければならないものだ、とも。
いきものと対面していると、たまにそう感じることがある。人間と対面していても。人間自体を握り潰せたりはしないけど、その人の感情とか可能性とかの一端を塞いでしまったかなと思うことがある。たぶんとても僅かな変化だと思うんだけど。(こういうことを考えすぎて、ときどき外に行けないなぁと思ったりする。)
相手のことを考えると無闇に行動できないなーと思う。普段はあまり意識しないで、行動しているけど。ときどき、今の応え方はこれでよかったのかとか思う。きっと考えすぎだろうけど。
だから、ょぅι゛ょ殺人犯とかの思考は理解できねぇ。少しでも相手のこと考えたら、そんな行動できないだろと思う。こういうニュースを見ると、死体の感触を思い出してしまうことがある。前に飼っていた猫の。冷たくて硬くて重くて毛に血が張り付いて固まってた。それはいきものではなくて「もの」だった。握りつぶせる、と感じたとき、私はこの感触と同時に掌が血に塗れた感触を想像した。壊したらいけないよな、と思う。
自己中心的思考、高すぎる自尊感情、万能感とか、そういうものに支配された人間の犯行かなと思う。どっからくるんだ、その過剰な自信は。もうちょっと考えてくれよ、と思う。小さいものは無条件に大事にしてくれよ、と思う。