「なぜ自殺してはいけないのか」を、「なぜ人を殺してはいけないのか」でも使える説明“以外”で説明してください。:はてな

おもしろいですね。この質問者の人も答えてる人も。皆様素敵な脳みそをお持ちです。全部読んでみた。10、25、27、29、37、39、40、42、44、51、55、64の回答がおもしろいと思いましたよ。
以下、おもしろかった考え方を引用させていただく。(回答番号>引用)(いつもながらこれ引用か?みたいなちょっと転載まじりの引用の仕方をしていますけども、見逃してほしいです)

39>「現に生きている人」は世界を肯定していると考えています。

なるほど。自明なことだけど、自明すぎて指摘されるまでわからなかった。世界に対する基本的信頼。エリクソンとかフロイトとかが提唱してた発達段階の話だな。

44>私は生きているのが楽しいです。(略)自殺はもったいなくありませんか?
64>自分自身の命は、他人の命の何倍も価値があるからです。

ここらへんは精神的に健全な人の思考だと思った。64の、他人の命は自分の財産で買えるという話は考えたことないので新鮮でした。

42>私の考えでは自殺しようとしている人に自殺するかどうかの選択の余地はありません。既に正常でない精神状態にあるのです。従って、「自殺してはいけない」とか、「自殺してもよい」とか第3者の視点で述べることは本人の自殺の遂行にあたっては意味がないのです。

まぁそれもそうですね。私もうっかり死のうとしたことがないわけではないので、正常な精神状態でないことがどういうことかは大体わかります。こういうのは感覚的に理解できる人とできない人に分かれるんだろうな。

29>『社会の存続への期待・他者の悲哀への共感・自己の生命の尊重・死後の罰則への恐怖』、これらが自殺を悪いとする人の価値観には必ずありますが、自殺を実行する瀬戸際にある人には『私があなたの死を看過できない、私はあなたが死ねば絶望的に悲嘆し続けるしかない』といった論法でしか説得できないでしょうね。
51>殺人禁忌は『積極的な利己主義者が、他者の権利を侵害する行為を禁じるもの』であり、自殺禁忌は『消極的なニヒリストが、社会全体に「生きていることは苦痛ばかりで無意味だから死んだ方が良い」という空虚な価値観を飛散・流行させる行為を禁じるもの』といえるのではないかという暫定的な結論に達しました。

自殺が悪いとする人の価値観が自殺を実行しようとする人にはないから、自殺をしようとする人には「私が嫌だからやめて」って言うことでしか説得できない、ということだと理解しました。まったく正しいと思います。
29と51は同じ人の回答です。この人すごいなー。なんか納得するしか出来ないんだが。本当に正しいと思うよ。

40>「あなたの世界を守るための最善の手段はあなたが死ぬことではない」、というのはいいが、それで説得できない場合……というか、説得者自身が、その自殺しようとしている人(行為者)が死ぬほうがその人の世界を守るために最善だと判断できてしまった場合、説得するためにはその価値観そのものを壊さなければならないが、それは「正しい」か?

うん。「正しい」か、というより、それは「行為者」にとって良いことなのかね?ってことかしら。自分がこれまで生きてきた上で基本になってきたある価値観の死と人間としての死ではどちらが大事なのかってことなんだと解釈しました。どうなんでしょうね。自殺を止められた「行為者」のその後の人生次第で良いことにも悪いことにもなるんじゃないでしょうかね。その後の人生で価値観を変えられるかってことですよね。これは生き延びないとわからないですし。自殺をしようとするその瞬間では判断出来ないんじゃないでしょうか。


価値観も人それぞれですね。だからおもしろいんですけど。
ここから自分語りです。
私はたぶん自殺しないだろうなと思います。なんかそういう確信があります。私はどうやら感覚主義の快楽原則で生きているらしいので(自分でもこれは納得できます)(他の生き方ってどういうのなんですか?)、私がおもしろいと感じることやものが最も重要だと思っています。自殺とかおもしろくないし、痛いじゃないですか。そういうのは嫌です。この先きっとおもしろいことがあるし、私はそれが楽しみです。悩んでるときに愚痴っても許してくれる友達がいるし、自殺したらその友達も含め、今までの私の人生の色々なことに価値がなかったと私が判断したことになるので、そういうのも嫌です。
自殺しない人は、こういう精神状態を保つことが出来る人だと思います。自殺とストレスコントロールは関連が深いそうですね。
自殺しようとするときに一人じゃなければ、たぶん誰かが止めてくれることでしょう。人と関係が繋がっていることを忘れなければ、けっこう自殺まではいかないもんだと思いますけど。