化粧が出来ることが女のメリットの一つだと思う。
顔色が多少悪くてもコントロールカラーと濃い目のファンデで誤魔化せる。おk。
肌荒れはあんまり隠せないけどな。


誰にでもやさしくありたいと思う。接客業のバイトをしていて時々強くそう思う。
誰にでもやさしくありたい。私のせいで不快になってほしくない。
でもそんなのは傲慢だってこともわかっている。
姿形存在それだけで人は簡単に不快だと感じることがある。例えば満員電車の中。自分の隣にいる人というだけで不快。
仕方ないことだ。でも出来るだけ不快にならないでいてほしいと思う。そのために出来るだけのことはしているつもりだ。
なんでそう思うんだろう。やさしくされたいから?いい人だと思われたいから?それとも自己満足か?
まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、好んで他人に迷惑を掛けようとする人の心理がわからん。
異文化コミュニケーションどころじゃない。人としての基盤が違うような気がしている。
奈良のグランマとか。
痴漢とかな。
憂鬱なときに限って嫌なことが重なったりするけれど。念で人を殺せたなら今日はきっとあの男を殺していた。
そのくらいには腹が立った。屈辱とは違う。混乱に近い。あと理解できないものへの嫌悪感。それと不快感。
他人に出来るだけ迷惑を掛けないことが常識だと思っているので、そこから大いに外れたものを見ると苛々する。それが自分に及ぶことなら尚更。
足踏んでやるくらいじゃ甘かったかな。
上記の「誰にでも」は私に危害を加えないものという前提があるようだ。
あんまり腹が立ったから少し貧血になった。血が回らないと視界の色が変わる。今日は薄い青のフィルター。
空が空々しく青かった。
空を見て、空っぽと思うか、エーテルで満ちていると思うかは気分次第だな。
昔教わった仏教学の先生は「地獄は人の中にしかない」と言っていた。「天国も同様」と。
私が幸福だろうが憂鬱だろうが擦れ違う人達はいつもと同じだ。変わらない。
私の感情なんて世の中にはさしたる影響がない。
忘れていたことを思い出して少し落ち着く。

あなたが死んでも何も変わらない。
あなたが生きていれば何か変わったかもしれない。

引用元は鋼パロの同人誌でした。