女装とか男装とか

放浪息子』(の1巻のみ)と『大奥』(よしながふみ)を読んで、なんとなく考えていた。
異装にもいろいろ理由は異なっていて、男/女になりたいから表面上そう装うこと、今の自分のままで異なる装いをして楽しむこと、変身願望(今とは違う自分になりたい)、とか、私が考えられるだけでもこのくらいあるけど。
男/女になりたいっていうのは、男/女が好きっていうのと違うんだよねたぶん。2ちゃんの女装スレを見ると、女は肌がキレイで柔らかくて華奢でかわいいから自分もそうなりたい、みたいな男のレスがあったりする。(女のイメージがえらく偏ってると思う。)これは、「好き」と「そうなりたい」のどちらが先にあったんだろう。具体的には、自分の性に違和感があるから始めたのかが、よくわからないのだ。軽い変身願望と憧れが結びついて、簡単に異装してしまっているようにも見える。性自認を悪戯に混乱させてしまわないだろうか。それがしたいのだろうか。恋人的な意味で、モノにすることとは、やっぱり違うのだろうか。
私は、ちっちゃくて華奢な女にも、骨格とか肩幅とかしっかりした男にも、わりと憧れるし、好きなんだけど、そうなれるとは思わないから、なろうとはしない。そうなれたら、こんな服を着て、こんな振る舞いをしてみたいな、という願望というか妄想?はあるけれど。それは私がしなくても、他人にさせられればいいのかもしれない。させられないから、自分でするのか。
性や、自分と他人の境界がぼやけてきたと思う。どこかあやふやで、不安が増している。これは、私だけの話か?