正しさについての個人的な感覚

正しいとか間違っているとかはだいたい個人が考えることだけど、個人の考えの背後には社会規範とか倫理とか道徳とか常識とかそういうのがあって、だから完全に個人の考えによるというわけでもない。長く社会と接していればどうしたって影響される部分がある。自明視することがある。だから、それぞれ正しいとか間違ってるとか思うことはあるだろうし、同じ社会からの影響を受けたのだから、同じような判断をすることもあるかもしれない。
でも、正しさを押し付けるのは間違っていると思う。正しさの圧力は個人の感覚に拠るものだけど、被害妄想を持たないときに見ても、押し付けだと感じるくらいの過剰さを厭う。正しさを主張することもその主張に共感することもあるだろうけれど、それ以外認めないという姿勢は息苦しい。
正しさはいつだって一つじゃない。同時に間違いはいつだって正しくもあるし、正しいものはいつだって間違ってもいるのだ。私にはそう見える。誰がどれに正しさを見つけるか、そしてどれを選ぶかという選択の問題だろうと思う。
だから、いつだって言えることは、私がこう思うってことだけ。これが間違いだと思う人もいるんだろう。そういう人がいることを否定したら、私の中の正しさが曲がる。筋を通すことには、正しさの前に美学を見るけども。これもまた個人の感覚でしかないわな。