青年期の危機的状況

自分が間違ってると思う。今の私が私じゃないなんていうつもりはないけど、このままじゃいけない、生きていけるけど生きたくならなくなるような気がしている。「なにかしなくちゃ。なにかをしなくちゃ。」「なにかってなんだい?」(キッ/クザカンク/ルーのナニカの歌詞)やべー、ちょうこえー。出来ることなら人生リセットしたい、マジで。やり直せたら、ここじゃない場所に行けたら、ここじゃない所で生きていられたら。エリクソンの発達段階の一番初めで私は基本的信頼感を得られたのだろうかとか考えてみるけど、そんなものわからない。でも、どこかで既に躓いている。とりあえず、このままでは自己同一性は手に入らない。やり直しがきく人生なんてないってわかってるけど、ここからどう修正すればいいかわかんないよ。自己同一性を手に入れることが幸福だとはいわないが、そうすれば今より楽に生きられると思うの。
まだ、鈴木乙史の「性格形成と変化の心理学」を読んでいる。この本は、主に性格形成について心理学的な見方でこういう考え方があるよーっていうのを広く解説しているもの。この本によると、自己同一性とは自分の納得した形での自己の可能性の限定、だそうだ。ああ、私はまだ自己の可能性を限定したくないんだな。そもそも自己になにがしかの可能性があるという自信がないんだが、どうしてくれようか。
学校の先生が言ってたこと。幻覚や幻聴や妄想は、精神病の症状の一種だけど、これくらいなら危機的状況のときにも起こることだそうだ。安心した。ただし、早朝に目が覚めて眠れなくなることが続いたら鬱病の可能性が高いから精神科へ行った方がいいってさ。
全然話は変わるけど、昨日は前のバイト先の集まりにいってきた。結婚&妊娠退職したある社員の祝賀会。あー、なんかものすごいスピード婚だったので驚いたんだけど、話をよく聞いてみると改めて速すぎだなーと。逆算すると付き合って一週間以内に妊娠してんだもんな。本人にも予想外だったらしいけど、まぁ、幸せならいいんじゃないかと。タイミングはけっこう重要。
飲み会とか遊ぶときに、はしゃぐとかはっちゃけるとかいうのは、どうも苦手。私には出来ない。上手く出来たことがない。どうも身構えてしまう。だからといって、そういうのが嫌いなんじゃない。むしろ好きだけど、自分がその中に溶け込めないのがやだ。透明人間になりたいなー。


タイトルはザピ/ーズのシニタ/イヤツハシネより。聴いたことなんだけど、http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20050626/p3で歌詞を見て、なんかわかるなーと。今こんな感じ。