オレンジレンジ騒動

ちょっと流行遅れですけども、オレンジレンジパクリ疑惑について。
詳しくはここらへん参照してくださいまし。


今回の騒動についてちょっと考えてみた。
きっかけはここ↓
(見た所:かーずSP)

他人の著作物を明らかにパクっておいてそれに罪悪感を感じない人たちというのはどこのジャンルでも一定の割合で存在するのかも知れません。
そういう人は他の人の著作物を文字のフォントかなんかと一緒だと思っているという話を聞いたことがあります。つまり、道具もしくは材料としてはじめから用意されているものだと認識しているというのです。

あーうん。すごい納得。その通りだと思いますよ。
そこにあるもの使って何がいけないの?っていう感じなんだろうな。
そこでこれ↓を思い出した。

(見た所:黒板ぽ)

最近になってオウムの世代の若者のことが少しずつわかってきました。その世代の若者は、「知識は全て自分の外に蓄えるものである」という風になったのであります。知というものはコンピュータや本や先生の頭の中に入っているものだ、マニュアルを見ればなんでも出来ると思っている。CD―ROMというものがありますが、コンピューターの中に蓄えられた知識を必要な時にとってくればいい。知は自分の都合で自分の外から取ってくるもの、すべての知がそうなってしまったのです。
(中略)
近頃の若者は全てのものが頭の中で並列に並んでいます。
それをマニュアル人間と言います。全部が並列だからマニュアルが使える状況になると、ちゃんと頭が動くのです。時により、都合によって、並列している頭の中から「どれかを使えばいい。」こう学生が思っているのが、わかってきたのです。
しかし、マニュアル通りに考えているから、一歩そこから外れた途端わからなくなる。(中略)
私が一番心配していることは、若者が「知は与えられるものだ」と思っているのではないか?「自分で考えるものではない」と思っているのではないか?ということです。

自分の外にある知を取ってくることが今の若者の習慣になってるってことみたいですけど、だから、誰かのものを取ってきて組み合わせてハイ完成。これが自分の作品です。ってそこに悪気はなくて飄々としてられるんだろうな。
つまり既存のものを土台としてしか何かを作れないってことか?
自分というものの基本とかベースがないってことかな。アイデンティティークライシス?
なんかこれって現代病みたいなものかと思い始めてきた。
だって、他人の引用文持ってきてしか自分の意見を言えない私もなんだかんだ言えないもの。