4月18日

大きな災害からひと月と少し。当時の非日常に継ぐ非日常。そしてこんにち、残った目に見える影響は建物の壁にヒビが入ったことくらい。私がいる場所はもう平気になった。
今は少しぼやけた記憶を書いておこう。
当日、大きな揺れに会社の外に出たら道路が波打っていたこと。外に出るとき自分がケータイしか持っていなくて防災意識が低いと反省したこと。地震の復旧作業に関連する仕事。繋がらない電話。お母さんがメール使えてよかった。つきあっている人と距離を置こうとしていたのにそれどころではなくなってしまったこと。棚が空になったコンビニ。見たことがないくらい車と人通りの多い会社付近の道路。電車が動かず同僚の家に泊めてもらったこと。深夜のニュースで、かつての町の映像。一面土色に見えた。あそこに住んでいた誰かはどんな表情でニュースを見るだろう。生きているだろうか。夜中にも地震とエリアメール。眠った気がしない。
翌日、動き出したが本数が少ない電車に長蛇の列のニュース。まだ電話は繋がりづらい。仕事の続き。仕事の主要者はほぼ徹夜だそうだ。こんな状況じゃまだ帰れない。あとつきあっている人に負荷を掛けることはできない。家族の顔を見て話をしたかった。夜には仕事も一段落ついてどうにか自宅まで帰れた。
電車が来なくて空いた時間に駅ビルの本屋へ行った。非日常の日常を忘れたくて、優しくてハッピーエンドの物語が読みたかった。精神的な痛みを忘れる方法を私は知っていた。こんなところはいつもと同じ。鮨詰めの電車内で隙間ができる隅の場所を確保して本を開ければそこの中にはここではない世界。
帰るのにも労力を使う。家族とそのときどうしてたか話をした。
二日後、休んでいいと言われていたから、午前中いっぱい眠ってようやく起きる気になる。疲れはまだあった。計画とはいえよくわからない停電予告。繰り返すニュースと特定のCM。電車は首都圏しか動かず、車は渋滞でガソリンも不足。明日もこうなら会社には行けないな。食料、水、電気の不安。よくわからない有害物質の不安。また揺れる。何も出来ない。闇雲に何かをすることが迷惑になりそうで、何も出来ない自分に歯を噛む。
その後、電車は徐々に復旧するが本数は少ない。会社には向かえるようになった。仕事に参加できると無力感はかなり減る。いつもよりかなり混む電車。引き続きガソリンや電気や食料、物資の不安。つきあっている人からは部分的に謝られてつきあい続けることになる。二日に一回位泊めてもらいつつ、どうにか日常を過ごす。通勤時間が長いと不便だ。
一週間、地震の為に遅れた通常業務の立て直し。それほど物資に不安はなくなり、常よりは不足だが拘らなければ大丈夫だ。ニュースをつい見てしまう。また揺れるしまだ揺れる。また復旧の仕事が増える。
二週間、引き続き復旧と通常業務の立て直し、に次いで決算がある。思い出したくもない。自分が使う電車の路線はまだ通常の半分程度の本数、泊めてもらいつつ過ごす。
そして4月。始めだけは決算処理と通常業務が間に合わず忙しかったが、今はほぼ通常。電車も以前と同じに戻った。まだ揺れるしときどき大きな揺れは緊張する。不安もまだある。有害物質、電気、品不足、会社の工場でも部品不足があるそうで、会社の先行き、経済の先行き、国の先行き。まあそれは遠いことでもある。自販機は節電で照明がつかない、店舗の営業時間が短い、といった些細な違和と不便は続く。まだつきあっている人のこと、と私のこれからをどうしようか。この不安は以前と同じか。


家の扉の開きが悪くなった。傾いたかもしれない。疲れが溜まって体調を崩した人がいる。停電、節電という些細な不便。負荷の名残は自分のところにもある。
電気を使う生活は見直せるのかと少し考えたりもした。移動の労力と電気量というトラフィックの負荷。なくても平気なものの生産は必要であるかとか。私には些細な不便に慣れればいいことであるが。皆がそうとは限らないのか。


繰り返すが私のいる場所は今はもう平気で、かつての通常の生活を繰り返せる。でもかつての生活は無駄が多かったことが見えてしまったから、自分の周囲から生活や仕組みを整えていくことが私の個人的な仕事だと思っている。